牧神の午後の日記

オタク系の話題です

ハイドシェックのモーツアルト/ピアノ協奏曲第20番

 宇和島ライブと宇野さんの評論で日本での人気に火がついた後に録音されたグラーフとのものではなく、1960年に録音されたヴァンデルノート、パリ音楽院管弦楽団との共演の方です。
 なんといってもハイドシェックのピアノが美しく、そしてニ短調なこの曲に相応しく振幅をひろくとっていて、表現がダイナミック。単に音も美しいだけではなく、ソロパートでの寂しさを表出しきった後で華やかさに駆け上がるその変幻自在の表現力が素晴らしい。第一楽章再現部、冒頭主題が戻る直前のハイドシェックのピアノの見事さ。リタルダントしてディミュニエンド、言葉に書くと簡単ですが、その効果たるや、涙が出てくるほど。そして、オケによる伴奏の再開。ヴァンデルノートとパリ音楽院管弦楽団のオケサポートも十分すぎるほどに十分。あるときはデーモニッシュな中に寂しさを表し、あるときは華やかに、とハイドシェックのピアノと表裏一体の表現。しかし、何と言ってもこの曲の白眉は第一楽章最後のカデンツァでしょう。自作ですがこの曲に似つかわしく華やかで悪魔的、そして寂しい。
 第二楽章はオケの伴奏で聞かせます。勿論、ハイドシェックの音色も私的モーツアルトの最も寂しい曲に相応しく、さらに一方では少女のような可愛らしさを感じさせるのですが、彼の演奏もオケの心優しいサポートがあってこそ光る、というものです。ちゃんと鳴らすべきときはオケを(勿論五月蝿くなく)鳴らし、控えるべきときは控える。昼間部になると可愛らしさは影を潜め、デーモニッシュな展開へとなるわけですが、ソロに合わせるオケの短い和音だけで、背筋が寒くなります。
 そして第三楽章。冒頭ソロが少し軽い感じがしますが、オケの伴奏が入ってくるとこの曲のクライマックスに相応しい重々しさ。速いテンポでソロに繋ぐと、ハイドシェックのソロがその面目躍如といった感じで、千変万化の音色で耳を翻弄します。ともかくテンポの揺らせ方、ちょっとしたダイナミズムの表現力が半端でない。それに合わせるオケの見事さ。ppなピアノにフルート、オーボエが絡む部分は軽きが沈み、重きが浮くモーツアルトの音楽の独特の不思議な浮揚感を味わえます。カデンツァは短い中でも溢れんばかりの音の洪水。そしてそのまま全曲のクライマックスへ至る様はまさにプロフェッショナルな至芸。
 それにしても、この頃のハイドシェックは今はどこに行ってしまったのだろう?と嘆息。

amazon: モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番/同第20番