牧神の午後の日記

オタク系の話題です

ドレスデン聖十字架合唱団&ドレスデン・フィル来日公演

 演目は言わずとしれたマタイ受難曲。本日の大阪公演は一言で述べるならばExcellent。
 少年合唱で全ての声部を賄う為、第1曲のあの印象的な降り注ぐような少年合唱が声部に埋もれてしまうという致命的な欠点はありますし、第27曲の二重唱で伴奏の木管アンサンブルがずれたり、というライブに付き物の瑕を差し引いたとしても十二分に素晴らしい演奏でした。
 なんといってもソリスト達が皆素晴らしい。特に福音史家を務めたアンドレアス・ヴェラーは福音史家に必要な清澄なテノールを基調としつつ情熱的な歌い上げで、CDを含めて匹敵するのはリヒター旧盤のヘフリガー位ではないか?という出来。またアルトのマルグリート・ファン・ライゼンも第27曲の二重唱、さらに第39曲のあの有名なアリア「憐れみ給え、我が神よ」では入神というに相応しい感情のこもった歌唱に滂沱。ここからバス、ソプラノへと怒濤の名曲アリアに各ソリスト達も力が入った歌唱でクリスチャンじゃなくとも情景が目に浮かび涙もこぼれると言うもの。
 合唱も、上記の構造的な弱点はあるものの第63曲の合唱「あぁこの人は神の子だった」の美しさ、そして終局の絶唱は全てを帳消しにするに余りあるものでしょう。大満足でした。

10歳の保健体育2 竹井10日

 帯の「10歳のお子様の目の届かないところでこっそり読んでほしい本ランキングづどう第1位」は伊達じゃない。相変わらずの竹井っぷり。会話の内容は「秋桜の空に」以来のお下品さ丸出しでちょっちエロイ。伏線とか考えているのか?とツッコミたくなるような面白ければそれで良いなノリとキャラクター配置。そして、なによりもあまりに憐れな主人公の後輩・桜の幼なじみ君の扱い。繰り返しギャグの様式美とはいえ、イケメンを前にしたフツーな男の悲哀に全俺が涙です。
 でも、あんなエピソードやこんなエピソードも全部ラストシーンに持ってかれました。なんというか雰囲気だけでもうダメです。これは反則。しかも、次はロンドン?ですからねえ。続きどうすんでしょ?

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私のウォルマート商法 サム・ウォルトン

 ご存知、ウォルマート創業者による自伝。日本語副題は「すべて小さく考えよ」。タイトル含めて原題の"MADE IN AMERICA"の方がしっくりくる。日本語副題は、ウォルマートの考え方の一つで、マネジメントは小さく行うということを表したもので、ラスト近くに出てくる考え方で、本書での位置づけは小さいように思う。
 それよりもまずはお客様のことを考える。お客様の利便性、値段を節約すること、メーカー論理に振り回されず、顧客の購買代行業としてどうすればお客様の為になるのか?ということ、そして従業員も一種の社内顧客として優遇することのほうが、ウォルマートの成功要因として根本にあり、「小さく考える」のはその手段にしか過ぎないように思われる。
 それ以外は訳、注含めて文句なし。特に巻末の野口先生の解説は、本書のエッセンスが簡にして要といわんばかりにまとまっている。

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ハートキャッチプリキュア!第39話「えりかピンチ!マリンタクトが奪われました!!」

  1. ナッキーが自己アピール映画を上映する直前のサウンドロゴって、どれみで使われていたものじゃない?
  2. えりかとコフレのやりとりは、なんだかもうバカップルのノリですねえ。「私のことどう思ってんのよ!」
  3. マリンの単独変身バンク久しぶりですが、顔の表情や効果に少し修正入っていたような・・・。
  4. あぁ、もう相変わらずえりか可愛いよえりか。
  5. でも、次でサソリ姐さん退場?相変わらず予告がぱねぇっす。

働くひとのためのキャリア・デザイン 金井壽宏

 節目をデザインする、節目以外は流れを楽しむ余裕も必要、という金井先生の主張は非常に解りいやすい。但し「節目」は外的要因でぶつかることもあるので、私にとっては節目「を」は少し違和感があって、節目「で」デザインを考える、と言うもののような気がする。付言するなら、途中のコラムやエクササイズは我が事を振返って考える方が、腹に落ちる。
 注は巻末にまとまっているが、参考文献の紹介なども多く、この本をきっかけに真面目にキャリア・デザインを考える、この本以外の考え方を知るための道案内を十分に果たしてくれる。

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内田光子 クリーヴランド管弦楽団 来日公演

 阪急西宮北口から接続している兵庫県立文化芸術センターでの来日公演。仕事を少し早めに切り上げて(というか他の人に引き継いで)移動。
 オールモーツアルトプロで前座にK138の喜遊曲。これは指揮者なしでオケメンバーが立って演奏。その後で23番、24番の協奏曲を内田光子が弾き振り。アンコールは無し。
 ぶっちゃけクリーヴランドはセルが手塩にかけて育てただけあってとんでもないアンサンブル能力と絹のような音色が魅力なのですが、K138が始まったときはあまりに乱暴で本日のコンサートの行く末が少々心配になりました。それが、内田が23番の序奏を立って振り始めた瞬間に音色が一変。内田のピアノ演奏同様に弱音ととんでもない緊張感。特にフルート、クラリネットオーボエファゴット木管は相当な緊張感を強いられるピアニズム。
 そして、内田のピアノが入ると、もう今まで聴いたことのないモーツアルトの世界。23番なんて通俗的すぎて正直余り好きでなかったのですが、軟らかく優しく、そして誤解を恐れずに言うと少々のエロティシズムさえ感じさせるオケ、ピアノの音色と緊張感。息つく間もなく、気がつくと曲が終わっていたと状況。24番もまったく同様で、別世界に連れていかれました。
 内田の指揮も堂に入ったもので、ピアノを弾くこと、指揮してオケに指示することがおそらく彼女には目指す音楽を実現するために全く同一の行為、というくらいに二つの動きが連続している。ピアノ弾いていても片手が空いていたら空いている手でオケに指示を出し続け、オケもそれに能く応える。本当に夢のような一時を過ごすことができました。

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