牧神の午後の日記

オタク系の話題です

フルベンのベト5(47/5/27)

 ベートヴェンの特に交響曲は、甲乙つけ難い名演が揃っていて、これ1枚で事足りる、なんてことはまぁ滅多にない。例外はワルターの田園くらいかと思うけど(それにしてもベーム/VPOという有力な対抗がある)。特に5番は曲の劇性と相まって、本当に1種類しか選べないなんて状況になったら、それだけで一日悩める。
 その中での「この1枚」の最右翼はフルトヴェングラーが1947年5月27日にBPOを振った演奏になると思う。
 個人的にライブにおける名演の条件には3つあって、誰が、いつ(どのような機会に)、どの曲を振る、という5W1Hみたいなもんなんだけど、この演奏はそれが三拍子揃っている。第二次世界大戦でナチへの協力者の烙印を押され、戦後一切の演奏活動ができなかったフルトヴェングラーが、まさに活動の再開として手兵BPOへの復帰を果たすに当たって選んだのがこの曲(あとはエグモントと田園というオールベートーヴェンプロ)。因みにCDでは初日と3日目の演奏が残されていて、最右翼候補は3日目の演奏。
 第一楽章、重々しい入り方で、「振ると面食らう」の異名通りにザッツも揃っていない。しかし、そこから始まるドラマはまさに圧巻。テンポもダイナミックも激変する。彼と阿吽の呼吸でBPOもそれに付いて行くのが見事。クラリネットソロの色気、クライマックスへの盛り上がり(まだ第一楽章だけど)、もうそれだけでお腹いっぱい。なのに第二楽章が始まる。やはり時に止まりそうになるまでの重々しいテンポと弩弓の迫力。ppからfffの音量の変化と千変万化の音色。勿論時代が時代なので当然モノラル録音で、この演奏の魅力を100%再現している、なんて口が裂けても言えないけれど、 それでも細やかな音の動き、音色の変化に聞こえてくるはフルトヴェングラーBPOという希代の組合せから生じる緊張感。第二楽章の音のうねりにそれが顕著に現れていると思う。第三楽章の金管で盛り上げ、低弦から始まる第二主題は後の7番を彷彿とさせる躍動感で持ってきながら、曲は停滞を繰り返す。これはもう終楽章への盛り上がりの伏線、というミエミエな演出なんだけど、判っていても感じちゃう状態(笑)。あまりの停滞感にBPOをしても音が揃わず、開場ノイズも多めに拾っているのがライブ感というか緊張感を盛り上げるという相乗効果。ブリッジパッセージを経て、いよいよ終結の第四楽章。ドレミファソラシドしかない単純な第一主題のなんと力あふれることか。あとは「最後までクライマックスだぜ」、とばかりに曲が踊る。同じ主題・メロディの執拗なまでの繰り返し、ってのがこの曲の特長なんだけど、この演奏ほどそれが効果を上げているのはないんじゃないかなぁ。ラストの盛り上がりが異様。テンポを煽るだけ煽っておいて、終結で少しためるという、こっちの欲しいものをまさに提供してくれる演奏。
 ただ、聞いていて、本当に疲れるんですけどね。

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