牧神の午後の日記

オタク系の話題です

高学歴ワーキングプア 水月昭道

 ポスドクなど研究活動だけでは飯が食えず、アルバイトなどフリータ的な生活を送り、将来の展望もない、高学歴なワーキングプアが増えている、というのは最近になって報道で時々採上げられるようになりました。本書ではその原因を文科省行政の失敗とアカデミズムにおける既存権益層の確保という、城繁幸さん的な世代対立の視点に求めています。詰まる所、我々は社会の被害者なんであって今の状況を自己責任で改善するなんてムリ、ということになります。
 おっしゃる通り、研究員の増加による日本の国力の底上げを目指した国策は存在しました。しかし、それはみながみな大学での研究員、教職になれることを保証するものではなかったはずです。日本では残念ながら進んでいませんが、諸外国に例を取るならGoogleのように理系を中心に博士を積極的に採用しているところもあります。また人文系であっても、本書で紹介されている筆者自身の研究テーマ「子供の遊び」の有用性は、タカラトミーなりセガバンダイなら一緒に共同研究するという話に乗ってきそうに思われます。それを僕は生涯研究に自身を捧げるんだ、それには会社に入って組織の歯車になっていてはできないんだ、という頑迷なまでの思い込みでそうした道を選ばないのであれば、厳しい言葉ですが、高学歴ワーキングプアなんて自業自得の成れの果てです(勿論、昨今の景気状況で企業もなかなか高学歴の方への採用にシフトしにくいというのは承知していますし、実際そうやって頑張ってる方もいらっしゃるのは存じてます。そうした方を侮蔑するつもりはありません)。
 本書中で画家になりたいと子供が言った時にそのリスクを考える親という例が挙げられています。本文では続けて、博士になることもそれと同じかそれ以上のリスクがある、とも。当たり前です。その道のプロになろうというのですから。希望すれば皆が皆、大学の研究職・教授職に就けるわけがない。小さい頃からサッカー選手を夢見て、今Jリークで活躍している方の割合でも考えればすぐ判りることです。でも、視点を変えて、その経験を活かす仕事は可能なのです。知り合いにも社会人になってMBA取得後、将来は博士課程に進学したいという人間は多いです。あくまでキャリアパスの一つの通過・飾り物(というと語弊がありますが)として考える必要があるのではないでしょうか?−−ということを事例を挙げて本書でも最後の方には書いているのですが、いかんせん分量も少なく記述も薄い。最初の文科省や先輩教官への繰り言はバッサリカットして、こうした部分をもっと膨らませてかいて欲しかったなぁ、と大変残念に思います。まったく「ふたつのスピカ」の選ばれなかった生徒達のツメの垢でも煎じてのめば?と言いたくなって読後感はちょっとよろしくなかったです。

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