牧神の午後の日記

オタク系の話題です

子どもへの性的虐待 森田ゆり

 重いです。子どもへの性的虐待によって虐待を受けた子どもがどれだけ重いものを背負わされるのか?イヤなのに拒絶できない自分への嫌悪、どころか快感を得てしまう自己への不信、被害を訴えても信じてくれない周囲への不信、そうした中で自分が虐待にあった、と言う記憶すら封じ込めてしまわざるを得なくなる。たしかにそれで問題は見えなくなるのかもしれませんが、その記憶が蘇ったときには、自分で自分がコントロールできなくなる。
 ともかく子どもを信じること、もちろん被害者を出さないことが何よりも重要ですが、被害にあった人に更なる絶望を味合わせないこと、そのためにはどのような取り組みが必要なのか?ということを海外の事例、自身のそうした組織の立ち上げ経験で得た知見を基に提言しています。なんというか、日本の状況の立ち後れ、単純に悪影響を与えそうなポルノ規制で問題が解決する、みたいな短絡思考にある種やるせなさを覚えました。
 因みに本論から外れますが、いまのようなX-Raytedな虐待ゲームもなく、教育勅語で道徳教育もしっかりしていたと年長者が回顧に浸る戦前でも、子どもへの性的な虐待は存在しましたし、その加害者がまた子どもであった事例も存在します。
 そして、こうした悲惨な事例を見聞きしながら、おそらくはそうした人々を回復させる経験を積んだからこそ、著者は「人間のいのちの本質はやさしさにほかならない」と断言できるのだと想像します。とても、とても重く考えさせられる言葉です。

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